大分ニャンたろう
ニャンフォメーション

「動物愛護は誰にでもできる事です」

 

 

一般社団法人HUGさんの投稿に

とても感銘を受けたので

ご紹介させていただきます

 

 

 

 

私は、動物の命に対して

「自分が助けた」と感じたことは

一度もありません

 

 

なぜなら

経済力もなければ

保護した動物をおける場所もない

預かりボランティアさんや

色んな人の協力があって

その子は助かった

「自分が助けてあげられたら」

と思う事ばかりです

なので、積極的に

保護はしません

それは私がしたくても

できないことだからです

 

 

 

保護できる時は

協力者がいる時です

私の言う“協力者”は

見返りを求めない人

自分愛護ではない人

そのふたつです

 

 

 

私は自分自身を

“ボランティア”だと思っていません

説明が必要な時は

その言葉を使いますが

私はボランティアではありません

そんな素晴らしい人間でもありません

 

 

 

行動してしまう時は

「人として」

ただそれだけです

 

 

自分自身の中にある

“こういう人でありたい”と

思う事をしているだけです

大変でも

自分自身が後悔しない選択を

しているだけです

それは動物愛護に限らず

人生においてです

 

 

少し前に

人として”レベルの低い人間だ”と

言われました

 

 

ならばといつも思うのが

そんな私にできる事が

他の人にできないわけがない

 

 

そんな私でもできる事が

啓発することです

得た情報や知識を

伝えていく事です

家族や友だちに話す

SNSで発信する

ただそれだけです

お金がなくても

場所がなくても

心と体が健康であれば

体一つあれば

できることです

 

 

知識がなくても

聞いた話を話すことは

誰にでもできることです

 

それだけで動物愛護になるんです

 

 

 

動物愛護は

できるか できないか

ではなく

やるか やらないか

ただそれだけなんです

 

 

 

 

助けたいと思う人が

できることをやればいい

全てではなくて

そこにいる一匹のために

それだけでその子の未来は変わります

 

 

 

その行動がいつか

多くの動物の未来を変えるための

一歩に繋がると信じています

 

 

なにもしなければ

何もかわりません

 

 

 

私は積極的に保護することは

しません

でも 啓発はします

一所懸命します

一匹でも多くの

犬猫を助けるために

 

 

 

動物愛護は

誰にでもできます

 

 

 

動物の命を助けたいと感じる人が

どれほどいるか

そしてそう感じる人が

できることをやるか やらないか

ただそれだけなんです

 

 

 

今動物愛護に携わっている人たちは

みんなそういう気持ちから

行動した人たちで

「助けたい」という

シンプルな気持ちから

始まったことではないでしょうか

 

 

 

なんてつらつらと考えながら

書いてはみましたが

思ってるようにはできないし

思う様にもいかないことも

たくさんあります

 

 

 

家の子だって

なんだかんだ一人で保護して

連れて帰った子です

仕事帰りに山道にポツンといた子です

 

 

 

私は、動物の命に対して

「自分が助けた」と感じたことは

一度もありませんが

「保護してよかった」と感じることは

その都度あります

それは協力者のおかげです

 

 

 

誰が助けたとか

そういうことは正直

どちらでもよくて

ただそこにいた小さな命が

「ひとつ救われた」

それだけでいいんです

そこに意味があって

そこに価値があるんです

 

 

中には「私が助けた」と

主張する人もいますが

それは自分愛護だと

私は思います

 

 

 

動物愛護はいつも

”おかげさま”なんです

主張より感謝なんです

 

 

と、私は思います

これからも私は

自分のできることで

動物愛護を続けて行きます

 

 


猫の性質
飼い主の十戒 里親詐欺について 安楽死ではありません 猫の紹介